山上 憶良 万葉集。 万葉集の有名な歌人山上憶良は百済系の帰化人といわれています。帰...

類聚歌林とは

憶良 万葉集 山上

瓜 食 はめば 子ども思ほゆ 栗 食 はめば まして 偲 しのはゆ いづくより 来 きたりしものぞ 眼交 まなかひに もとなかかりて 安眠 やすいし 寝 なさぬ (5-802) 反歌 銀 しろかねも 金 くがねも玉も何せむにまされる宝子にしかめやも (5-803) 【通釈】 [長歌] 瓜を食えば、 子供にも食わせてやりたいと、子供のことが思われる。 そのかわりに憶良は、子どもを思う歌を作ったのである。 老身に病を重ね、年を経て 辛苦 くるしみ、また児等を思ふ歌七首 長一首 短六首 玉きはる 現 うちの限りは 平 たひらけく 安くもあらむを 事もなく 喪 もなくもあらむを 世の中の 憂 うけく 辛 つらけく いとのきて 痛き 瘡 きずには 辛塩 からしほを 灌 そそくちふがごとく ますますも 重き馬荷に 表荷 うはに打つと 言ふことの 如 ごと 老いにてある 我 あが身の上に 病をと 加へてあれば 昼はも 嘆かひ暮らし 夜 よるはも 息づき明かし 年長く 病みしわたれば 月重ね 憂 うれへさまよひ ことことは 死ななと 思 もへど 五月蝿 さばへなす 騒 さわく子どもを 棄 うつてては 死には知らず 見つつあれば 心は燃えぬ かにかくに 思ひ 煩 わづらひ 音 ねのみし泣かゆ (5-897) 反歌 (六首) 慰むる心は無しに雲隠れ鳴きゆく鳥の 音 ねのみし泣かゆ (5-898) すべもなく苦しくあれば 出 いで走り 去 いななと 思 もへど子等に 障 さやりぬ (5-899) 富人 とみひとの家の子どもの着る身なみ 腐 くたし捨つらむ絹綿らはも (5-900) 荒布 あらたへの布衣をだに着せかてにかくや嘆かむ 為 せむすべを無み (5-901) 水沫 みなわなす脆き命も 栲縄 たくなはの 千尋 ちひろにもがと願ひ暮らしつ (5-902) しつたまき数にもあらぬ身にはあれど 千年 ちとせにもがと思ほゆるかも (5-903) 天平五年六月三日よめり。

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秋の七草は万葉集の山上憶良の短歌 「秋の野の花を詠む歌」

憶良 万葉集 山上

食用とした。 本名を希望される場合は、その旨を明記してください。 憶良は旅人の悲しみを忖度して、一首の挽歌を贈った。

山上憶良 千人万首

憶良 万葉集 山上

「万葉集」には長歌11首,短歌68首,旋頭歌 せどうか 1首 作者に異説のあるものを含む のほか漢詩,漢文の作品もあり,〈貧窮問答歌〉にみられるような思想性・社会性を特色とする。 若し誠に羽翮(うかく)して(死)期を延べ得るべきを知る者は、必ず将に之を為さんとす。

山上億良:日本挽歌と大伴旅人との交友

憶良 万葉集 山上

「大王の遠の朝廷」とは大宰府を指す。 長歌 0887: たらちしの母が目見ずておほほしくいづち向きてか我が別るらむ 0888: 常知らぬ道の長手をくれくれといかにか行かむ糧はなしに 0889: 家にありて母がとり見ば慰むる心はあらまし死なば死ぬとも 0890: 出でて行きし日を数へつつ今日今日と我を待たすらむ父母らはも 0891: 一世にはふたたび見えぬ父母を置きてや長く我が別れなむ 0892: 0893: 0894: 神代より言ひ伝て来らくそらみつ. 奈良市の春日大社参道にあるこの歌の歌碑。

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秋の七草は万葉集の山上憶良の短歌 「秋の野の花を詠む歌」

憶良 万葉集 山上

の歌では「秋の野に咲いている花を指折って数を数えれば次の七種類の花が美しい」と詠っていましたが、こちらの巻八(一五三八)の歌ではそれに継いで「萩の花、尾花、葛花、撫子の花 女郎花、また藤袴、朝顔の花」を秋の七草花として挙げています。 令月とは「良い月」「何事をするのにも縁起のいい月」という意味です。 慮を欲して慮絶す、何に由りて之を慮らん。

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山上億良:日本挽歌と大伴旅人との交友

憶良 万葉集 山上

以上四首は、大宰帥大伴旅人邸に七夕の翌日集会しての作。 想像の中の子供でもかわいくて、目を細めて見ている憶良の姿がほうふつとしますね。

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『万葉集』に詠まれる、子供を思う父のこころ「世界中の財宝を集めても、わが子に勝る宝はない」山上憶良

憶良 万葉集 山上

お父さんへの感謝の思いを、つづってみませんか? 1万年堂出版では、『月刊なぜ生きる』の読者参加企画「親のこころ」への投稿を募集しています。 遊仙窟曰、九泉下人、一銭不直。 このとき集まったのは大伴旅人を含めて32人。

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